虚構新聞・社主UK氏インタビュー「フェイクをフェイクとして楽しむ余裕を」
フェイクニュースやディープフェイクなどの忌避感を伴うフレーズと結びついて、フェイクが「悪」として認識されるようになったのはいつからだろう。インターネットが誰でも接続可能となり、誰もが気軽に情報を発信できるようになった現在の世界では、リアルさが執拗に求められ、フェイクは徹底的に排除されるようになっている。
2004年にサイトが開設された虚構新聞は今年で16年目を迎える。「ありそうでない」記事の多くはユーモラスで遊び心にあふれているが、時に社会や政治への違和感を虚構を通じてクリティカルに映し出してきた。常に社会の空気感を読み取りながら丁寧に嘘を発信し続けてきた虚構新聞・社主UK氏は、今のインターネットの世界をどのように認識しているのだろうか。
UK
1980年生まれ。滋賀県在住。虚構新聞社社主。2004年3月、虚構記事を配信するウェブサイト「虚構新聞」を設立。2010年「アルファブロガーアワード」にノミネート。2012年第16回文化庁メディア芸術祭エンターテインメント部門審査委員会推薦作品受賞。近年は『5分後に意外な結末』シリーズ(学研)の執筆に参加するなど児童向け短編にも取り組む。近著に『虚構新聞 全国版』(ジーウォーク)。
嘘を一貫させるのも難しい!?
—虚構新聞というサイトを始めたきっかけを教えてください。
UK:2000年ぐらいにインターネット上でホームページをつくるちょっとしたブームがあったんですよ。僕も当時は学生で、自分でHTMLタグを組んで個人ニュースサイトを作っていました。自分でニュースをピックアップして紹介するようなサイトです。普段はちゃんとニュースを紹介していたのですが、2004年のエイプリルフールにわざと自作自演の嘘のニュースをつくって載せる企画をやったら、読者からウケが良かったんです。確か、永久機関がついに完成した、みたいな記事だったと思います。反響があったので、ある程度本数がたまった2カ月後くらいに大元のニュースサイトから独立させる形で虚構新聞のサイトを始めました。
—大元のサイトから独立させて虚構新聞社のサイト運営を始めた当時は、読者から反響はありましたか。
UK:独立させた当初は無名サイトだったので当然反響がなかったですが、7月ぐらいには2chに見つかって、虚構新聞のスレッドが立てられるようになりました。面白がってくれる人もいれば、こういうサイトは許されるべきではないと考えている人もいましたね。
—嘘のニュースサイト、という字面だけ見れば抵抗感を感じる人もいるかもしれません。
UK:そういう人にも受け入れてもらおうというわけではないけれど、一時サイトを閉鎖してデマが流れないような仕組みを考えていました。結果、記事の見出しの横に背景と同じ白色の文字で「これは嘘ニュースです」と入れるアイデアを思いついて。これで大丈夫かなと思ってサイトを再開しました。
—記事はすべてUKさんが作られていますが、記事のアイデアはどのように出しているのですか。
UK:生活の中で思い浮かんだアイデアをスマホのメモ帳に書いてストックしています。心の底でうすうすおかしいなと思っていることとか、言葉にできないわだかまりのような違和感をネタにしていますね。
—2011年の「野田首相、原発事故の収束を宣言」のような記事は嘘ではなく事実をあえて載せることで皮肉るような記事も印象的です。
UK:他の人がテレビを見ながら「いやそれはおかしいんじゃない?」みたいに思っているところをそのまま載せた感じですね。最近だとプレミアムフライデーが大人気だとか、そもそも事実がネタっぽいという前提があるので、そのままコピペして写すだけで虚構新聞だと記事になりますね。
—穴がずれているパインアメが高値で取引されているというニュースや、三密回避のために国会議事堂の中央塔がスカスカになったというニュースのような、ビジュアルのインパクトが強いニュースはどのように発想されるのでしょうか。
UK:パインアメに関しては、もともとパインアメのツイッターの中の人と知り合いだったので、いつかネタにしたいなと考えていました。ただ、お菓子の会社とかおもちゃ会社は常にネタを求めている業種なので、下手にこっちが中途半端な嘘のニュースを書くと面白がられて本当に作られてしまうことがあるんです。過去に森永から、144個のチョコが入った『グロス』(1グロス=144)というチョコレートが発売されるという記事を書いたら、本当に乗っかられて作られてしまったんです。その反省があったので、パインアメをネタにする前にパインアメの製造方法をうっすら聞いて、穴ずれパインアメはどうやら作れなさそうだということ確信してから書きました。
—逆に、徹底して嘘で一貫させることも難しいのですね。
UK:嘘を一貫するためには下手にお菓子会社は敵に回してはいけないですね(笑)。
エイプリルフールに正しい情報を発信する理由
—2020年4月1日に新型コロナウイルスに関する専門家への取材記事を掲載されていますが、なぜ普段は嘘のニュースを発信する中で正しい情報を発信したのでしょうか。
UK:毎年4月1日のエイプリルフールになると、普段は嘘の情報しか書かない虚構新聞がエイプリルフールに何をするのかと注目を浴びるんです。例えば去年(2019年)だと、記事にはしませんでしたが、ちょうど新元号の発表の日だったのでツイッターに速報として「新元号は『令和』」とどの媒体よりも早く発信しました。
—普段は嘘しか発信しない媒体ではエイプリルフールになると、本当のニュースを発信することが虚構新聞における嘘になるのですね。
UK:今年は何をしようかと考えていて、最初はコロナとは関係なく、例えばソフトバンクの孫さんのような大物の方につなげてもらってインタビュー記事を載せようかなと思っていました。結局、大物とのつてがなかったので断念しましたが、何かジャーナリズムのようなことをしたいと思っていたので、今年はコロナを扱うことにしました。
—現在も同様ですが、特に当時はコロナを話題にするのは難しいと思います。
UK:新型コロナウイルスが国内で流行が目立ってきた2月以降は記事がすごく書きにくくて、更新のペースがかなり落ちていました。虚構新聞のPodcastでも一度コロナ特番という回を作っていたのですが不謹慎になりかねない内容だったのでボツにしたんです。Podcastの台本を書いてから収録してアップするまでは2週間かかるのですが、2週間後の状況は全然読めませんでしたね。
—それでも、サイトではコロナの話題を取り上げることにしたのですね。
UK:いろいろな情報が錯綜していたので啓発的な意味も込められたらなと思っていました。インタビューに応じてくださった科学コミュニケーターの本田隆行さんには、当時のコロナをめぐる状況について分かっていることと分かっていないことを区別して、基本的で正しい情報をお話しいただきました。
—コロナの話題を取り上げることに気を付けていることはありますか。
UK:やっぱり社会全体がコロナで疲れているので、ネタにするにしてもあたたかい笑いに持っていくようなものを意識しています。ずっと昔から変わりませんが、読む人に楽しんでもらうことを一番大事にしているので。
嘘を16年間発信し続けて気づいたこと
—2004年の虚構新聞の立ち上げから16年が経つことになりますが、サイトを運営していく中でインターネットの時流の変化を感じたことはありますか。
UK:最初に流れの変化を感じたのは多くの方がSNSを利用しはじめた2011年の震災前後あたりですね。今までは読者の方々が設定されたブックマークから虚構新聞にアクセスされていたのですが、SNSが流行りはじめてからはSNS経由でアクセスする人が増えはじめました。サイト流入の流れが変わって拡散のされ方も変わりました。
—具体的にはどのような変化がありましたか。
UK:SNSでシェアされることが増えていくにつれて、テクストよりも画像の方がウケる傾向が出てきました。でも、ビジュアルにばかり注目されるなら新聞記事という体裁を取る意味はないことになりますよね。できれば、テクストの起承転結を楽しんでほしいと思っているのですが…。
—他に変化はありましたか。
UK:風刺を使うにしても、昔より政治家個人をネタにすることはなくなりました。たとえ公人であっても個人をネタにしてもあんまり面白がってもらえない時代になってきているのかなと。
—いつ頃からそう感じるようになりましたか。
UK:ちょうど安倍さんが政権に復帰した時期ぐらいですかね。民主党政権だった時はふざけていたのか懐が深かったのかわかりませんが、民主くんという民主党公認のゆるキャラのSNSアカウントが鳩山さんのネタ記事をよくシェアしてくれていていました。けれど、安倍さんが首相になったころあたりから、自民党がどうこうというわけではなく、風刺として政治家個人を扱うことが個人攻撃だと考える人が増えて記事の書き方にも注意を払うようになりました。以前、永田町で尻尾が8本あるトカゲが見つかったという記事を書きましたが、今は政治をネタとして扱うにしても読む人が読めばわかるようなハイコンテクストな方向に変えています。
—事実をネタにするという意味で、個人的には政治家について言及することにハードルを感じてしまいます。
UK:例えば、ある政治家がまずい発言をした時とかおかしな政策を出した時にネタとして扱うのは、僕はセーフだと思います。あくまで政治家の資質を問うているだけのことなので、政治家が何かやらかした時にその人個人を言及するのは問題ないし、有権者として言うべきことだと思います。逆に政治家個人への言及を個人攻撃だとして批判しなくなったら、政治に対する批判はどんどん難しくなる一方です。
—個人攻撃と政治家個人に対する風刺は違うということですね。
UK:原則としてはそうだと考えていますが、ただそれを受け手が良しとするのかとは別の話です。うちの場合は読者さんに楽しく読んでもらってナンボであって、モヤっとさせるようなものを書きたいわけではないんです。単純に笑いにつながらないのであればやり方を変えていくしかありません。なので、安倍さんが云々で枝野さんが云々という書き方はこの先あまりしないんじゃないかと思います。
—だんだんと記事のネタを考える範囲が狭くなって、運営のやり方を段々と変化をさせなければならない状況はある意味で窮屈だと思います。
UK:掲載できる記事の幅は確かに狭くなってきていますが、その変化に対して善悪の判断はできるものではないです。「そういう時代になった」という事実を受け止めるしかありません。日々変化する制約の中でまた別のネタを考えていくしかないと考えています。
フェイクをフェイクとして楽しむ
—ここ最近はフェイクが絶対悪に見られがちで、ありとあらゆるコンテンツにリアルさが過剰に求められていることが増えてきていると思います。基本的に嘘しか発信しないという前提の元で虚構新聞は運営されていますが、この状況をどのように捉えていますか。
UK:ネタをネタとして楽しむ余裕がなくなってきているのかもしれませんね。
—どういうことでしょうか。
UK:僕が学生の時に『ガチンコ!』という今で言うリアリティー番組があったんです。ただその番組にはおそらく台本があって、過激な演出が施されていたんですね。でも、僕らが見ていた時は演出されたものとして自覚的に笑いながら見ていたんですよ。もっと上の世代の番組だと「川口浩探検隊」もどう見ても演出ですが、いずれにせよ、演出された番組を演出だとわざわざ口にするのは野暮だった感覚はあります。
—今はどのような理由であれ、人為的に作られたコンテンツは徹底的に批難される空気があると思います。
UK:リアリティショーでも演者の方が過激な批判に晒されて炎上することが問題視されていますが、台本が多分あるんだろうと思っていれば、ちょっと一歩引いて物事を見られると思うんですよね。そういう意味では、発信されたコンテンツを批判的な目で見る能力が最近はもうなくなっているのかもしれません。あるいは発言の真意を汲み取ったり、メッセージの裏を読むという構えをするのが良くない時代になってきているのかもしれません。最近になってそういう力が失われてきているのか、それとも僕らの時代よりも演出があまりにも巧妙になりすぎて、のめり込みやすい構造になっているのかわからないのですが…。少なくともメタな視点で物事を見つめる状況は減っているのかなと思います。
—メタな視点があれば過激な行動に走るということは減りそうですよね。
UK:「嘘松」という言葉が数年前にツイッター上で流行りましたが、本当のように語っている人に対して厳しい非難を送る人がいたじゃないですか。正直、僕はもっとおおらかに受け取られてもいいんじゃないのかなと思っていて。「嘘のツイートを消すまで許さない」とか「アカウントを消すまで許さない」と思って嘘松の人を追及するのは極端すぎるし、自分と何の利害関係もない他人の日常ツイートくらい、不愉快ならミュートするとかしてスルーすればいいじゃないですか。そこまでして徹底追及しなければ気が済まないあの情熱はどこから生まれてくるのかが不思議です。「虚構新聞」というサイト名は記事を読む前に内容が嘘だとネタばらしをしているようなものなので、野暮な名前をつけてしまったなと思っていましたが、今となってはこのぐらいがちょうどいいなと思っています。「毎朝新聞」とか実際にありそうな、フェイクだと判定しにくい名前でやっていたら、本当に引っかかったまま気付かない人がでてきて厳しい非難に晒されるかもしれない時代ですから。
—情報の発信者という意味でのメディアと受信者としてのユーザーの関係性はSNSによって大きな変化が生じていると思います。今後この両者ではどのような関係性を築いていくべきだと思いますか。
UK: もうちょっと両者間に緊張があってもいいんじゃないでしょうか。人間ってどうしても楽な方に流れる生き物なので、視聴者にとって受け取るのが楽な情報ばかりをメディアが送り続けると、ユーザーの意識もより楽な方、より分かりやすい方に流れていってしまうと思うんです。マスコミの性質として、見たい人だけが見ればいいというのは無理だと思いますが、例えば、新聞なら漢字の振り仮名を減らしてみたり、テレビならテロップやワイプをなくしてみたり。テロップとかワイプとかを出してしまったら、視聴者が反応すべきところを教えてしまうじゃないですか。視聴者にわざわざ意地悪する必要はないですけど、ユーザーに楽をさせ過ぎないようにすべきじゃないかだと思います。
—ユーザーが能動的に考えながら情報を取得する環境を整備すると。
UK:そうですね。本来は、面白さを発見したり大事だと思うところに注目したりするのは、メディアから教えてもらうのではなく、ユーザー自身で養っていく能力だと思います。そういう能動性がないと、いざフェイクニュースに向き合った時にまんまと引っかかってしまうなんてことになるんじゃないでしょうか。そして、そういった力を養った上で、フェイクをフェイクとして楽しむ心の余裕があってもいいのかなと思いますね。
取材・文/伊藤勇人
虚構新聞のウェブサイトはこちら
https://kyoko-np.net/