渾然としたインターネット社会で『表現』して生きていく フォトグラファー嶌村吉祥丸インタビュー(後編)
フォトグラファーの嶌村吉祥丸さんはファッション誌や広告などの幅広いジャンルで職業として写真を撮り続けている中で、個展を開き写真という表現を通じて社会のあり方を常に考え続けている。誰もがSNSで写真を発信できるようになった状況で、彼は写真という表現をどのように捉えているのだろうか。
後編では、SNSにおける表現とこれからの時代の働き方について考えました。
プロフェッショナルとSNS
―InstagramなどのSNSに写真を投稿することで、誰もが不特定多数に向けて発信できるようになり、誰もが「写真家」になれる時代です。またSNS上ではどんな画像もデータとして横並びに表示される性質によって、プロとアマの境界線が形式的になくなったように思われます。一般的にはお金を得ていれば「プロ」と言えると思いますが、「プロ」と「アマ」の境界はどこにあると思われますか。
嶌村:もし「プロ」という定義を「写真を撮るという行為によって1円でも稼ぐことができる人間」だとするならば、SNSのおかげでプロという領域が拡張したと思います。それ自体は、依頼する側も依頼される側もハッピーならいいことだと思いますが、「プロ」として語られるべき領域は別のところにあるんじゃないかと思います。
―吉祥丸さんがお考えになる「プロ」はどのようなものだと思いますか。
嶌村:その仕事をする領域において関わる人など含めて全てをリスペクトできていて、責任を持って期待される仕事を遂行できることだと思います。もちろん「プロ」は何かの一芸に秀でているというプロフェッショナリズムを指す場合もありますが、一方で人間としての礼儀正しさなどといった基本的な要素も強く結びついていると思います。脱いだ靴を揃えることや挨拶をきちんとすることなど、お仕事で素敵な表現をされる方ほど当たり前のことを丁寧に行い、細かい気配りができていると思います。
―「プロ」と「アマ」の境界をお伺いした経緯として、Instagramで誰もが「写真家」になれるようになった一方で、写真や動画を通じて他人の日常が否応なく画面上に現れて見ざるをえないという状況に違和感を感じることが多いなと思っていまして。
嶌村:同じように、Instagramを使いながらも違和感やアレルギーのようなものを感じている人は多いと思います。
―その原因は、投稿される写真や動画がそもそも見る人のことを想定されていないからじゃないのかなと思います。
嶌村:投稿者がいる一方で、いわゆるそういった対象を自分が選択できる権利を持っていますよね。そもそもフォローをしなかったり、ブロックしたりすればいいのではないでしょうか。
―もしも吉祥丸さんにとって必要のない情報を発信するアカウントがあればフォローもしないし、ブロックもするのでしょうか。
嶌村:ブロックまですることは基本的にないと思います。もちろんフォローをしない場合もありますし、そもそも自分自身が他の人の投稿をニュースフィードのように垂れ流しては見ることが少ないです。最近この人はどのような活動をしているのだろうと思って、自分から情報をキャッチすることが多いです。
―吉祥丸さんはどのようにInstagramを利用されていますか。
嶌村:ギャラリーの仮設展示場のように捉えています。僕がInstagramを使っていてフォローしている方はクリエイターやアーティストの方が多いのですが、それぞれがアートや映像などの作品や日常を投稿しています。彼ら彼女らの投稿を見ることによって、その人の視点や考え方の断片を知ることができる。いわゆるギャラリーを巡るよりも簡易的に世界中のアーティストの思想の断片を垣間見ることができるツールとして使っています。また僕自身がいただいたお仕事や作品を載せることで、関係者向けの広告の役割も担っていると思っています。
―SNSの利用が生活と結びついているというよりも、自分のポートフォリオを投稿する一つの媒体として利用しているのですね。
嶌村:そうですね。あくまで見え方を意識した上でコントロールしています。また、僕のフォローしている人が、いわゆる「今日〇〇を食べた」といった単なる日常の報告をする人がほとんどいないため、あまりアレルギーを感じていないのかもしれません。もちろん、タレントの方がSNS上でプライベートを見せるのは、それが仕事のひとつであると思っているので、ファンにとっては単なる日常であればあるほど喜ばれるのかもしれません。
―もしかしたらSNSの使い方で人間性のようなものがわかるのかもしれませんね。
嶌村:仮想空間ではありますが、Instagram上での人間性はあくまで現実世界の延長であると思います。また、自分が投稿したものを不特定多数の他者に見られているという視点がなければ、他者から見てどうでもいい投稿ばかりするようになってしまうと思います。
―SNSは使い方次第で魅力的な媒体になるかどうかが決まると。
嶌村:はい。SNSはあくまでツールであるという一線を引いておけばいいのではないかと思います。僕の場合は一定数フォローしてくださっている方がいるので、比較的多くの方に情報を伝えることができます。多くの方に伝わる可能性を持っている分、発信する内容に責任を持つ必要があるとも思っています、また、Instagramは基本的に写真で構成されているという構造上、多くの人がInstagramを利用している今の状況は自分にとってはいいことなのかなと思っています。
―世界中の人々がInstagramやTwitterなどのSNSを当たり前に使うようになったその反面、過度な炎上や無責任なバッシングが増えてきていると思います。
嶌村:炎上が起きている背景には何か事象があって、誰かが言葉や写真、あるいは映像によって何を投稿することで起きていると思います。つまり、SNSの中だけで完結する話ではなく、ある投稿をする投稿者の意図や文脈、そして受け取り手の読み取り方も重要になってきます。いずれにしても、投稿にパワーがあれば世界中に届きうる。SNSの使い方さえ間違えなければ、良い武器にもなり得ると思います。
―吉祥丸さんは写真を使った表現者の一人として、表現すること自体の危うさを感じることはありますか。
嶌村:危うさは常にあると思います。例えば駅広告に張り出された写真を不特定多数の人が見て、そのうちの何人かが嫌だなと感じる可能性は極論否定できない。だから自分がアウトプットするときは、写真が発するエネルギーが自分の知らない人にどのような影響を及ぼすかを考えるようにしています。自分の中の美意識がより豊かになっていけば、よっぽど変なことを考えない限りその美意識のもとに表現されたものは悪いものにはならないと思いますし、そうでありたいと願っています。僕の写真を見て「自分の家に飾りたいです」と言ってくださる方が少しでもいらっしゃったら幸せだなと思います。
―自分の中の美意識というものはどのように豊かになっていくと思われますか。
嶌村:できるだけ様々な展示を見るようにしていますし、それらを見るときにバイアスをかけないようにしています。作家の知名度などで考えるよりも、その空間で起きている現象に対して自分が素直な気持ちで受け取ることを大事にしています。あとは、人の話をよく聞くことです。僕は結構な確率でどこに行っても人とばったり会ってしまうのですが、偶然再会した人と時間を作って話すことやフラッと入って気になった本屋さんや家具屋さんで人と話したりなど、そういった流れや巡り合わせを大事にしています。日常にある生活的なことや対人のコミュニケーションが一番のインスピレーション源かもしれません。展示にいくことよりも意外と近所の友人と話すことの方が実は豊かな時間なのかもしれないですね。
働くことを考える
―吉祥丸さんは留学から帰国されてからは写真のお仕事をされていますが、今まで日本的な就職活動をしたことはありますか。
嶌村:ありません。
―今の一般的な大学生は3年生くらいから就職活動が始まっていると思われます。吉祥丸さんの学生時代にもそのような空気はあったのでしょうか。
嶌村:ありましたね。僕自身ちゃんと会社員をした経験がないのでわからない部分が多いですが、業種や会社名をもとに入社できたとしても、結局自分のやりたい仕事につけるかどうかは会社に依存すると思います。例えばクリエイティブ職を希望していても営業に配属されてしまうなど。そもそもやりたい仕事が明確にイメージできている人は少ないのではないでしょうか。やりたい仕事を明確化しないまま就職活動を続けることは、具体的に自分が何をするかを想像しにくく、ある種お金のために自分の人生を売っているような感覚とも言えるかもしれません。それは人生の早い段階で、可能性や選択肢を狭めてしまうという点で、もったいないことだと思います。
―4月は4年生にとっては就活の時期ですが、吉祥丸さんは就活をする必要はないと思いますか。
嶌村:従来の新卒一括採用という制度は、終身雇用制度と年功序列を前提とした日本独特の雇用制度です。従来のような就活をしていては、会社に自分の価値や選択肢を決められてしまう怖れがあると思っています。人によって正解は違うと思いますが、会社組織で働きたいのであれば、個人としての能力を高めてからその能力を還元できるような組織で、且つフィロソフィーに共感できる会社に入る方が良いのかもしれません。
―大学生で何者かになりたがる人は自分の軸を定めたいのに、軸を決めきれず自分が何者にもなれないことをネガティブに捉えがちだと思います。
嶌村:何者であるかより、自分がどのような思想を持っているかが先に来るべきだと思います。例えば、僕の場合「フォトグラファーです」と言えるだけの経験やお仕事をさせていただいているので何者かを示す軸がありますが、その軸ができる前から思想を持っていましたし、その思想を写真を通して拡張できると思っているからこそ写真を続けています。また自己分析の過程で、自分が本当は何が好きだったか、自分は何者なのかといった問いを自問自答すると思いますが、それは就活の時期だから向き合うことではなくて、人生を通して向き合い続けることだと思っています。
―実際に大学3年生や大学4年生でそこまで自信をもって判断して働き方を考えるのは難しいことだと思います。
嶌村:僕の場合は大学3年次には仕事を通じて社会と繋がりながら、様々な人たちと話す機会があったので、自分の判断に自信を持てたのかもしれません。もしもフリーランスとして仕事を始めることなく就活の時期が来ていたら、自信を持って就活をしないという判断を下すほどの経験は得られていなかったと思います。
―ちなみに吉祥丸さんは実際に未来やこれからについて不安にならないですか。
嶌村:昔から特定の目標もないですし、目指したい将来像もないので基本的に不安はありません。10年後や20年後の自分を想像するよりも、今の自分に素直でいたいと思っています。
―学生は就活も含め、近い将来しか考える余裕がないのかもしれません。
嶌村:世界規模で物事を俯瞰して考えつつ目の前で飲んでいるお茶が美味しいなあと思えるような、マクロな視点とミクロな視点を同時に持つことができたら、もっと選択肢は広がって見えるんじゃないかなと思います。
―最後に学生にメッセージがありましたら、お伺いしたいです。
嶌村:多くの人が周りの目を気にしがちですが、良くも悪くも家族や恋人を除いてはあなたの事は誰も気にしていないと思った方が良い。だからこそ何をやってもいいですし、自分の直感を信じてみればいいと思います。学生と社会人の境界は、あるようでないようなものです。就職した瞬間に内面が社会人に変わるということはありません。だからもっと自分の好奇心と素直に向き合って、何が自分を突き動かしているか、何と触れている自分を好きでいられるかを探すべきだと思います。原始的な自分の欲求があるのならば、貪欲に追いかけてみればいいと思います。ピンときたら、それと向き合うべし。
嶌村吉祥丸
東京生まれ。ファッション誌、広告、アーティスト写真など様々な分野で活動。ギャラリーのキュレーターも務める。主な個展に”Unusual Usual”(Portland, 2014)、”photosynthesis”(Tokyo, 2020)など。
取材・文/伊藤勇人