コロナ禍の学生街をどう生き抜くか・第3回「東京麺珍亭本舗」(全4回)
早稲田近辺には油そば屋がいくつも店を構えており、大学に通う学生のお供として親しまれている。その中でも東京麺珍亭本舗は日本初の油そば専門店として、早稲田の地で多くの学生を見守ってきた。街から学生が大きく減ったこの春以降、学生街の飲食店としてどのような影響を受けたのか、取材を行った。
―麺珍亭さんは古くから油そば専門店として経営していらっしゃいますが、まず早稲田に出店した経緯をお聞かせください。
麺珍亭の始まりは、当時社長が偶然油そばを食べたところ、その味を大変気に入り、自分でも作れるんじゃないかと思ったのがきっかけです。もともとは四谷でバーを経営していたのですが、メニューとして油そばを作って出してみたところ人気になりました。その後、油そば専門店として麺珍亭を創業することになります。
1号店である鶴巻町店がオープンしたのが24年前。鶴巻町店は早稲田から少し離れた場所にあるのですが、徐々に学生がメインの客層としてくるようになりました。特に近隣にある和敬塾(男子大学生・大学院生のための寮)の学生が多く来てくれるようになりましたね。それがきっかけとなり、他の大学生もだんだんと来てくれるようになりました。
大学生が油そばを好んでくれているのを見て、大学に近い西早稲田に店舗を構えたのが10年前です。それ以来、西早稲田店では早稲田の学生をメインの客層に据えて営業しています。
―緊急事態宣言以降の売上の推移について教えて下さい。
1月まではいつも通りでしたが、2月に入ってからぐんと落ちました。通常の大学の春休みとしても、売上は例年の半分ほどでしたね。一番ひどかったのが緊急事態宣言直後、そのときには4分の1以下で、かなり切迫した状況でしたね。5月の末までは例年の3分の1ほどを推移しながら、徐々に学生が戻るのを待っていました。
この期間中、店での営業はかなり赤字になっていました。少しでも売上の足しにと思い、テイクアウトを始めたりもしましたが、昔からやっている通販のほうが特に多くの注文をいただきましたね。通販をやっていなかったら、もう麺珍亭はここにないんじゃないかと思います。そのくらい売上の支えになってくれました。
―2月以前の通常営業時は、毎日店の前に人が並んでいるのが印象的でした。
そうですね。8月からは少しずつ客足が戻ってきて、回復基調にあります。いまは通常営業の時間はお客さんが常に入っているようになりました。しかし売上に関しては去年の今頃と比べて、3分の2ほどしか戻ってきていないというのが現状です。
―そういった中でも、新たに高田馬場店・池袋店・高崎店をオープンしたと聞いています。
これはもともと昨年末から動いていることでした。契約などの準備を進めていて、店を開けようかとなった矢先に、かなり困ってしまいました。それぞれ工事などでオープンの時期はずれてしまいましたが、現在は3店舗とも営業しています。
―かなり攻めの姿勢で取り組んでいるお店なのだと感じていました。
飲食店として攻めなきゃ生き残れないというところは常に念頭に置いています。今回の出店に関してはどうしようもなかったところもありますが…。ただ期間限定メニューやコラボメニューなどは攻めの姿勢で作っていますね。この店のコンセプトである「毎日食べても飽きない味」を届けるため、味やメニューの工夫は続けています。
―今後、早稲田で営業を続けていくにあたっての展望をお聞かせください。
今ある店舗はなんとかやっていくしかないですね。西早稲田店は対面授業の実施や授業のオンライン化などの大学の方針にも左右されてしまうので、今の状態が続くと厳しいかもしれませんが、よっぽどのことがない限りは続けていくつもりです。
本当にこう、なくしたくないですもんね、この早稲田から油そばを。油そばが一地域でこんなに支持されるって早々ないことだと思います。新しく出店した池袋店も近くに大学があるのですが、実はこの店は大学生よりも社会人などの一般の方々が多く来られるんです。この傾向を見る以上、大学生だから油そばを好んで食べに来るのではないのだと思いますね。早稲田でこれほど油そばが盛り上がったのは、学生自身がこの土地での文化として油そばを根付かせたからだと実感しています。この文化は大切に次の世代の学生にもつなげていきたいですね。
―ありがとうございます。最後にメッセージなどいただけたらお願いします。
これまで店に通って食べてくれていた人たちも、通販などで知ってくれた人たちもいると思います。今後新たな形になっても、学生も私たちも一致団結して、早稲田の油そばを守り抜いていけたらいいですね。それを絶やさないために僕らも頑張るので、学生のみなさんもこの状況下で大変かと思いますが、一緒に頑張っていきましょう。
取材・文 とも仮名