【後編】戦後ゼロ年/1964年から見る2020年 「神話」にだまされてはいけない――ディレクター・貴志謙介インタビュー
1964年と2020年。比較すると、二つの年がよく似ていることに気づかされる。たとえば、2020年の日本の建設作業現場で働く外国人労働者は、1964年に地方から出稼ぎや集団就職のために上京した若者を想起させる。安価な労働力を吸い上げて、成長しようとする日本。二つの年が似ているのは、戦後ゼロ年に始まり高度成長期に完成した社会システムが、今なおこの国を呪縛しているからだ。しかし、その存在は、戦後日本の真実を覆い隠す「神話」――高度成長、東京オリンピック――によって見えなくなっている。戦後ゼロ年/1964年から2020年へ、過去の記憶を継承していくためにはどうすればいいのか。映像ディレクターの貴志謙介さんに伺った。
貴志謙介
1957年生まれ。1981年、京都大学文学部卒業後、NHK入局。ディレクターとしてドキュメンタリーを中心に多くの番組を手がけ、2017年に退職。主な番組に、NHK特集『山口組』、ハイビジョン特集『笑う沖縄、百年の物語』、NHKスペシャル『アインシュタインロマン』『新・映像の世紀』など。著書に『戦後ゼロ年 東京ブラックホール』、共著に『NHKスペシャル 新・映像の世紀 大全』(どちらもNHK出版)がある。
今なお残る「昭和の呪縛」
――冷戦が終わった後も、冷戦の過程で形成されたシステムは温存されてしまっているんですね。
貴志:まず、冷戦とは何だったのかということを考えてみます。冷戦とは本当に「冷たい戦争」だったのでしょうか。アメリカとソ連、そして中国の悲劇的な代理戦争だった朝鮮戦争やアメリカの介入によって泥沼化したベトナム戦争。他にもソ連のアフガニスタン侵攻、アンゴラ内戦、カンボジア内戦、キプロス紛争、中東紛争……。アメリカの秘密工作によって多くの血が流れたニカラグア、チリ、コンゴ、イラン、キューバ。ソ連の軍事力によって踏みにじられた衛星国。1945年から1989年の間に、世界であまりに多くの死者が出ました。冷戦を、第三次世界大戦だと位置づける専門家もいます。世界のほとんどの国は冷戦のときに苦しみ抜いたのです。
日本で高度成長が成し遂げられた背景には、朝鮮戦争とベトナム戦争で発生した軍需があります。日本はアメリカの戦争に追随することで、驚異的な経済成長を実現しました。冷戦期の二つの破壊的な戦争の恩恵を受けたわけです。後ろめたい気持ちもあり、国外の現実から目を背けているうちに、日本には国際社会の現実が見えなくなってしまった。結果、冷戦が終わったあとも、対米依存や東京一極集中のような社会システムから脱却しようという発想が出てこない。それどころか、オリンピックや万博などの「神話」を反復しようとしている。
近年、グローバル化の流れの中で、国際社会にいびつな構造が再び顕在化しています。冷戦期には、社会主義が資本主義と対峙することで、「裸の資本主義」が暴れまわるのを抑制していた面がありました。しかし、社会主義が敗北したことで、歯止めがなくなった。日本も小泉首相のころから、世界の大国が推進するグローバリズムに、歩調を合わせるようになりましたよね。しかしもっと重要なことは、人間一人ひとりの生活が改善されるかどうかということです。1964年に話を戻せば、1964年と2020年、この二つの年に日本に起きていることが似ているということに目を向けるべきだというのが、私の考えです。人々は分断され、今も昔も、同じように理不尽な格差や貧困を強いられている。
――貴志さんは書籍『1964 東京ブラックホール』で、1964年と2020年の類似を指摘されていました。
貴志:思いつく限り、例を挙げてみましょう。経済に関しては、格差が拡大し貧困が放置されています。1人当たりGDPも低い。東京一極集中もますます進んでおり、地方が崩壊の危機に瀕していることも一緒です。ブラック企業が蔓延して、低賃金・長時間労働で非正規労働者が搾取されているのも変わりません。女性の地位も低いまま。80年代には、中産階級が成長して高度福祉社会に移行するプログラムも浮上しましたが、企業のカネは洪水のように株や土地などへの投資に集中し、90年前後にバブル経済が崩壊すると、「犠牲のシステム」がふたたび露骨に前面に出てきました。それも、1964年と2020年は似ている理由の一つです。
それから、巨大公共事業に頼る旧態依然の成長戦略。建設会社などが儲かるだけで、一部にしかお金が回らなくなる。オリンピックのねらいが、そのような景気刺激のための巨大公共事業であることはあきらかです。あるいは、公営ギャンブルに頼る。今カジノを作る計画が持ち上がっていますよね。公営ギャンブルは、当時も自治体が手を出したがる財源でした。こうした仕掛けは、一時的なカンフル剤にはなるかもしれませんが、長期的には、かえってシステムの行き詰まりを悪化させてしまうリスクが大きい。
――経済以外についてはどうでしょうか。
貴志:社会現象に関しては、住宅難、通勤地獄、衝動的な凶悪犯罪、新たな宗教の隆盛。これらも1964年と同じです。OECD(経済協力開発機構)加盟国の中で、ひときわ自殺率が高いことも変わりません。暴力団の抗争、これは当時のほうが、スケールが大きかったですが、なくなったわけではないですね。
政治的には、ふたたび自民党の一党支配になっています。それから政治家の閨閥(けいばつ)。汚職、それから政官財の隠蔽体質ですね。特に文書の隠蔽・捏造。五輪に便乗するメディア。大政翼賛会のようにオリンピックを礼賛する新聞やテレビ。旧態依然の記者クラブ。
アメリカとの関係に関しては、まず何より対米依存のシステムですね。米軍基地をめぐる矛盾。沖縄は理不尽な基地の負担を強いられています。それから横田空域。米軍が管理する1都9県にまたがる空域のことですが、東京の空はほとんどアメリカに支配されていると言ってもいいでしょう。日米地位協定の欠陥も改定されていない。東京のど真ん中の六本木に米軍基地が存在して、その周囲にアメリカの特権的な空間が構成されていることも変わりません。
「神話」を越えて現実を直視する
――現代へとつながる過去の実態が見えなくなってしまうと、流布されている「神話」を疑うことができなくなってしまいますよね。歴史ドキュメンタリーを作ってもなかなか若い人に当事者意識を持って見てもらえないというお話もありましたが、どうすれば記憶を継承していくことができるのでしょうか。
貴志:過去の記憶の継承には、落とし穴があるかなと思っています。学校や役所で、マニュアルを作成してシステマティックに行おうとすれば、新たな「神話」ができるだけではないでしょうか。もっとゲリラ的にやるしかないんじゃないかと思います。一人ひとりが、「忘れ去られた記憶の海」に潜って、ハンティングする。そして、そこから持ち帰ったものを表現の材料にする。アート、ジャーナリズム、本、映画など、どういうやりかたがありうるかはわかりませんが、何かインパクトのある方法を編み出して、過去の記憶を取り戻し、発信していく試みが必要ではないでしょうか。
ここで難しいのは、「神話」に安住するほうが、居心地がよいということです。高度成長神話、オリンピックや万博へのノスタルジー。これらと異なる見方を提示するには、資料の捜索を含めて多くのエネルギーを必要とします。面倒なことをしたくないから、どうしても、「神話」に安住する人のほうが多くなってしまう。
ですから、「神話」というのは、国家という「ゲットー」に張り巡らされた見えない壁みたいなものだと思います。国家は「神話」によって、国民の統治をスムーズに行おうとする傾向があります。かつて社会主義の国々はそういうことをやっていましたし、アメリカも同様です。「神話」を乗り越えて、外の世界のひりひりとした現実を知らないといけない。
――自ら情報を集めて発信することが、有効な手段の一つなんですね。
貴志:私たちの周囲を取り囲む壁に、まずは、小さくても穴を開けること。それができれば、だんだんその穴が大きくなって、新しい現実を受け入れる準備ができる、あるいはそれに基づいて新しい社会を作ることができるようになるという期待を私は持っています。
2011年、中東各地に広がっていった民主化要求運動「アラブの春」は、私もエジプト・カイロで取材しました。そのときは若い人たちがSNSを使い始めたことで、外部からいろいろな情報が入るようになり、それが結果として運動を後押しした。長年にわたって続いていた独裁政権が、各国で立て続けに崩壊していった。そんなことが起きるなんて、本当に誰も想像していなかったのです。
「アラブの春」の場合、その後、各国の社会体制がどのように変わったのか、民主化が成功したのか失敗したのかについては、慎重に検討がなされないといけません。しかし、変わったことは確かです。小さな穴から、ダムが決壊するように、世界は変貌する。台湾、香港、北朝鮮、もしくはアメリカ、ロシア、中国でさえも、変革を求める社会を押さえ込み続けることはできないのではないか、と私は思います。それがよい方向であるか悪い方向であるかは別として、そういう急激な変化はありうることなのです。
――日本でも、まずは高度成長神話やオリンピック神話に風穴を開けることから、新しい社会の展望が開けてくるのでしょうか。
貴志:書籍『1964 東京ブラックホール』でもふれましたが、2015年に、作家のカズオ・イシグロが来日した際、講演を行っています。そのとき彼は、個人の記憶や社会的な記憶は都合がいいように歪められているという話をしていました。国家には、国民の抱えるコンプレックスや劣等感のようなものを癒やすために、「神話」を必要とする段階があるかもしれません。しかし、どこかでそれを清算しなければならない。
第二次大戦のとき、フランスはナチス・ドイツに占領されていましたよね。フランスでは、最近まで国民がレジスタンスとなり、一丸となって、ナチスを追い出したという「神話」が生きていました。これはフランスにとって非常に居心地のよい「神話」ですよね。しかし実際は、強いられたこととはいえ、国民の多くがナチスに協力的だった。この「コラボシオン(=対独協力行為)」は、近年研究が進み、さまざまな事実が明るみに出ています。ドイツとフランスが共同で教科書を作るプロジェクトも立ち上がり、フランス人のほとんどはナチスに協力的だったことが、広く認識されるようになったと聞きます。
フランス人がレジスタンス神話を清算したように、日本人は、居心地のよい高度成長神話を清算しなければいけないと思うのです。もう幻影の中を堂々めぐりしている場合じゃない、どこかで真実を見つめなければならない。たとえ痛みを伴うとしても。それがおそらく風穴を開けることにつながっていくのではないでしょうか。そんな希望を持っています。
取材・文 中村健太郎