Vtuberのミカタ ―何者?Vtuber―
TwitterのトレンドやYouTube、テレビ番組でもよく見かけるようになってきた謎の集団「Vtuber」。よくわからないコイツラはいったいどんな存在で、何をしているのかを解説しながら、Vtuberの「見方」を考えていきます。
1.いまさら聞けないVtuberの仕組み-アニメと何が違うのか?
まずは仕組みについて切り込んでいきましょう。
Vtuberは「アバター(2次元の場合は立ち絵)」・「モーションキャプチャー」・「中の人」の3つから成り立っています。画面越しでまず一番に目にするのがアバターです。2次元の画像の場合、一見普通の絵に見えますが、中の人の表情や身振り手振りを反映して動くようになっています¹。そして重要なのがモーションキャプチャー。これが中の人の動きをリアルタイムで読み取り、アバターに動きを与える役割を果たしています。
このように、特殊なアプリケーションを用いて、中の人がアバターに命を吹き込むことで成り立っているのがVtuberです。アニメはあらかじめ決められたシナリオに沿って動きが決められているのに対し、Vtuberは中に人がいるためにリアルタイムで物語が紡がれている、ここが2者の大きな差であるといえますね²。
¹補足:立ち絵は一枚絵ではなく、目であれば黒目・白目・上下の瞼といった具合に、パーツごとに分解されています。これにLive2Dなどのソフトを用いてパラメーターを割り振ることで、顔や髪に動きをつけることが可能になります。
²補足:紹介のためお伝えしましたが、Vtuberは画面に映っている彼らを見て楽しむコンテンツであるため、基本的に中の人に触れることはありません。一種の暗黙の了解です。
2.Vtuberは何をしている?-勢力紹介
ではVtuberはそんなオモシロ技術を使って、いったい何をしているのかについて迫ります。
2-1.配信者としてのVtuber
大まかには配信者とアーティストの2種類に分けられます。一方はYouTuberのようにYouTube(などの配信プラットフォーム上)でゲーム実況やトークショーといった自由な放送をしているのが配信者の方々。視聴者からのコメントを通じてコミュニケーションを取ったりとらなかったりしながら、生放送を行うことが多いです。
2-2.アーティストとしてのVtuber
他方で絵を書いたり、歌ったり、作曲したり、映像作品を作ったり…各々のスキルを用いて創作に取り組んでいるのがアーティストの方々です。仮想空間では自分の想像する世界をほぼそのまま反映することができるため、独特の世界観を作り出している個性豊かなVtuberが多く存在します。
両者とも場面や用途に応じて、生放送あるいは動画の投稿を行っています。特に生放送の比率は高く、このような生放送ではコメントを用いた直接的なコミュニケーションがとれるため、視聴者とVtuberとの間にはニコ生じみた独特な距離の近さがあることも特徴といえるでしょう。
3.見方を解説 …の前に
徐々に謎のヴェールがはがれてきましたが、いよいよVtuberの「見方」について解説していきます。
しかしその前に、1つ解いておかねばならない疑問があります。記事冒頭で「YouTube、テレビ番組でもよく見かける」とお伝えしましたが、先ほどの勢力紹介ではテレビ出演に関する話をしませんでした。実はVtuberは活動の場をほぼすべてYouTube(などの配信プラットフォーム上)に限定されており、地上波のテレビ局には、ほぼ進出することができずにいるのです。なぜこのような状況になっているのか?この分析を通して「見方」を説明してゆきますので、少々遠回りになりますがお付き合いください。
3-1.Vtuberがヨクワカラナイ理由
Vtuberをテレビで見かけたとき、まず感じるのはシンプルな得体の知れなさだと思います。漠然とヨクワカラナイ奴らだなぁ、浮いているなぁと思うでしょう。理由はテレビのある性質にあります。それは、『演者には、何かしらの役割や型を与えなければならない』という性質です。役割、型とはどういうことか。普通テレビで取り上げられる存在は「俳優」や「評論家」などの何かしらの型が与えられています。視聴者はこの型に対して一定のイメージを持っているので、見知らぬ人間が出てきた時も「(型名)の(個人名)さん」(例えば、歌舞伎俳優の中村勘九郎)と紹介されることで、たとえその個人について知らなくても、型へのイメージを通じて、違和感なく情報を受け取ることができています。しかし、Vtuberには、想定される型が決まっていないために、ビジュアルから「Vtuber」という型で認識されてしまいます。さらに厄介なのは、その「Vtuber」という型に対するイメージが、Vtuberが何をやっているのかがかけているために、誰も想像することができないのです。つまり、Vtuberには「型」とそのイメージの両方を欠いているので、掴みどころのない存在になってしまっています。これが、Vtuberに対する「得体のしれなさ」の正体です。
3-2.Vtuberの見方
ではつかみどころのある存在としてみるにはどうすればいいのでしょうか。1つの回答として、一種の「コメディアン」や「アーティスト」の切り口から彼らを見つめてみることが挙げられます。そもそもVtuberの定義は非常に曖昧です。Vtuberに直接結びつくイメージがないという曖昧さは、転じて何者にでもなれる透明さがあることを意味します。この透明さは何か新しく物事を始める場合、イメージ形成が自由自在である点では有利に働きますが、構成のうえで役割ともいえる型(イメージ)を求められるテレビでは、この曖昧さがマイナスにしか機能していません。型の欠落はイメージの欠落を意味し、型がなければVtuberひとりひとりのキャラの認知に進まない。それゆえVtuberという切り口はテレビでは反転して短所になっています。このことから、彼らがテレビで取り扱われる際、「Vtuber」として役割付けされるのは、彼らにとって望ましいことではないといえます³。
そこで提案するのが、紹介の切り口を「Vtuber」という見た目の話から、取り組んでいる内容から生まれるキャラクターの話に変えることです。例えばぴろぱるさんなら、Vtuberのぴろぱるさんではなく、歌う書家のぴろぱるさんと認識すること。
Vtuberの多くはもともと何らかのスキルを持つ者であるため、それを外へ表現するためのツールとしてVtuberの形式を利用していることが多いです。彼らが発信してきたコンテンツにもそれぞれの色が濃く出ています。そのような彼らはアーティストやコメディアン、クリエイターとしての側面を少なからず保有しているので、テレビで取り扱うなら/視聴者がテレビで見るなら、それらの属性を先行して提示する必要があることが言えます。活動の足跡の紹介から入り、「Vtuberであること以外に何者であるのか」をはっきりさせた方が、より飲み込みやすいのかもしれませんね³。
見てくれこそ奇怪なアニメキャラクターの類ですが、逆にアーティスト/コメディアンなどの具体的な型を通して捉えると、この違和感は多少なりともぬぐえるのではないでしょうか。これを推し進めることでVtuberそれぞれに対する「イメージ」が作られてゆけば、Vtuberがテレビ番組に進出する機会も増えてゆくように思います。
³補足:やや知っている方向けの話になりますが、Vtuberを起用した番組が伸び悩む理由はここにあるのではないでしょうか?細かい話ですが、Vtuberは基本的に中の人の人となりを重視する存在なので、ぱっと見の見た目よりもVtuberとしての性格を認知してもらうことの方が優先されます。しかしVtuberは仮想空間上の存在であるため、「人間」「猫」「ロボット」のような具体的なイメージの前提がなく、ぱっと見でわかるような具体性が求められるTVへの適性は依然低いままです。
4.ちょっとディープな話-Vtuberと人格
入門編の読了、お疲れさまでした。せっかくの機会なので、少しはVtuberをご存じの方向けに、最近観測できた興味深い話をひとつばかり。
注意:Vtuberを楽しむうえであまり触れるべきではない「中の人」「炎上」に関する話題を取り扱います。気分を害する恐れがあるので苦手な方は『5.終わりに』へ飛ぶことを推奨します。
『1.いまさら聞けないVtuberの仕組み-アニメと何が違うのか?』で説明したように、Vtuberは形式上のキャラの裏側には中の人が存在します。普段の動画配信上では中の人が表に出てくることはなく、また視聴者も意識することはありません。中の人の存在が表面化するのは「炎上(中の人のトラブル、運営のトラブルなど)」が発生したときのみでした。
そのような炎上の中でも特異な動きを見せたのが、にじさんじ所属Vtuber夢追翔の一件(以下、本件)です。6月27日の配信内で、夢追翔が過去に社会的に非難されるような行為をしていたことを自ら明かしたため、Twitterを中心に批難が寄せられる状況(いわゆる炎上)になりました。なお当該事項に関しては、2020年6月28日から8月1日の活動休止を経たのちの8月1日の配信で、夢追翔当人から本件に対する謝罪と説明、今後に向けての説明が行われています⁴。
このとき、Twitterでは奇妙な現象がみられました。この手の炎上では「夢追翔の中の人」の形をとって、視聴者から意見や感想がツイートされるのが通例でしたが、今回の炎上では「中の人」と言わずに、「夢追翔」に直接言及するツイートが半数以上見られました。中の人とキャラクターの分離が起こらず、中の人の体験してきた過去が、キャラクターに乗っかるようになったのです。ここから推測できるのが、視聴者がVtuberに人格を見出し始めた可能性です。つまり「中の人」と「立ち絵」の構造から、立ち絵そのものに一種の命を感じるようになったのではないか、ということです。
Vtuber「そのもの」が一人の人格として扱われることで開けた可能性を示す例として触れておきたいのが、バンダイナムコエンターテインメントとにじさんじのコラボから提供されるダンスミュージックプロジェクト『電音部』です。声優としてVtuberを起用する、これが企画の要旨ですが、よく考えるとその構造は奇妙そのものです。
声優の声と絵で成立するアニメーションに、中の人と立ち絵からなるVtuberが携わる…なんともややこしい入れ子構造ですが、中の人を考えずに一つの人格として、つまり一人の人間としてVtuberに接するとき、そこに残るのは従来の声優の形だけになります。Vtuberの様式をわざわざ語らずとも、一つの人格として完全に受容されるようになったとき、Vtuberはその活躍の幅を大きく広げるのではないでしょうか⁵?単純にVirtualであることを放棄しているという見方もありますが、それについては別途議論の機会を設けて掘り下げていきたいですね。
⁴補足:過去の行為が悪質なものであったという事実は変らないものの、Virtualであることを盾に取り、そのまま引退して身を隠すこともできた中、活動継続を表明したことで、Vtuberが匿名装置になることを防止できたとも考えられます。
⁵補足:似た試みとして、ドラマ「四月一日さんちと」があります。声優と違って役者という扱いでしたが、非常に難しい挑戦であったと思います。声優と違うのが、視聴者に見えているのがVtuber本人であるか否かという点です。「四月一日さんちと」では演者とほぼ同一のアバターに、キャスティング上のキャラクターをかぶせていたので、キャラクターが2重になっていました。というか、キャラクターが2重になっていることを認識できるのは、キャスト本人の普段の様子(Vtuberとしての人格)を知っている視聴者に限られます。ドラマで初めて彼女らを知った人は、まずキャスティング上のキャラクターのイメージがアバターに結びつきます。配信上での日常の様子を普段の彼女らとするのならば、それとは乖離したイメージが先に根付くことになるため、改めて普段の彼女らを見るにはイメージの更新が必要になります。そこから普段の彼女らのイメージを刷り込みなおすのは、なかなかグロテスクな体験ですね。いろんな意味で初心者には厳しい作品だなと感じました。
5.終わりに
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。どうでしょうか、読む前と後で何か変わることがあったでしょうか?皆さんの中に、皆さんなりのVtuberの「見方」が見つかっていれば嬉しい限りです。
得た知識を活用してVtuberを始めるもよし、推しのVtuberを探してもよし。ほかにどんなVtuberがいるのか気になった方は、MoguliveというVR専門メディアがあるのでそちらをどうぞ。
このコラムでは引き続きVtuberはじめVR関連の内容を浅深問わず取り扱っていきたいと思います。長尺の記事でしたが、お付き合いいただきありがとうございました。
(筆:張り子のわらぶ)
Twitter https://twitter.com/warabu_cat
【引用画像リンク先一覧】
月ノ美兎 https://nijisanji.ichikara.co.jp/member/mito-tsukino/
猫宮ひなた https://entum.jp/talent/nekomiya-hinata/
天開司 https://www.mildom.com/profile/10410511
花譜 https://kamitsubaki.jp/artist/kaf/